何か決めなきゃ駄目ですか。



俺が決めたら、貴方はどうするんだい。

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現象

今更な話題を掘り起こす。
一人でいると、余計なことを考えがちなのである。
PCの前に向かっていればそうでもないが、一人で電車に乗っているときなどは酷い。
10日前くらいのことだ。




ツンデレについて。

事の発端は、俺があまりオープンでない環境において、上記の話題が出たからである。
それ自体はかなり前の話なのだが、ふとした時に思い出した。
というのも、当時のその話題の中に、兄弟姉妹におけるツンデレはありえない。
という結論が含まれていたことが気にかかったからだと思う。


そも、ツンデレがオタクの間で過去のキャラに対して属性という形で適応が始まった頃、
俺はあまりそれに対して抵抗を感じることは無かった。
しかし、一般にツンデレというものが広まるにつれ、キャラクターに対してではなく、
一般性を持った「ツンデレ」という言葉の定義が盛んになった。

その頃から、ツンデレという言葉の発祥としてオタクの提唱する「ツンデレ」と、
一般人の解釈する「ツンデレ」の双方に違和感を感じていた。
敢えてどちら、という意識は無く、どちらかを支持することも無かった。

その中で、自分が表現するのであれば、それは何か、という考えもあった。
そして、それはどちらかと言えばオタク寄りの考えかもしれない。
とは言え、過程を大切にする、という点においてだけだ。

俺の中で、「ツンデレ」というのは個人の特徴を示すものではない、と考えている。
結論から言えば、「ツンデレ」は現象であり、敢えて同列に扱うとすれば、
それはパンチラに近い。
普段見えないスカートの下のパンツが、一瞬垣間見えるのと、
普段見せないツンの下のデレが、一瞬垣間見えるのは同義であると思う。
だから、彼女はツンデレだ、というのに違和感を感じるのは、
彼女はパンチラだ、と言っているのに等しいからである。

兄弟姉妹間のツンデレがありえない、というものに疑問を抱いたのもこのせいだ。
彼らは、「ツンデレな人」という、人の属性としてのツンデレとして会話しているのに、
「風呂上りでも恥じらいが無いためにパンチラのありがたみが無い。
 ツンデレも同様にありがたみがない」
ということを無意識に考えているように感じたからだ。

この点において、一般的なツンデレの表現のされ方は、
俺の意識と大きな隔たりがあることが分かってもらえるだろうか。
ようするに、「ツンデレな誰々」では無く、「誰々のツンデレ」なのだ。

これは、同様に「萌え」という言葉にも当てはまる。
あまりに今更過ぎて申し訳も無いが。
何故、オタクが「これが萌えですよね」と言って出されたものを、萌えとして受け取れないか。

これまたパンチラと同義なのだが、
パンツがチラリと見えた瞬間を総合的にパンチラと表現するのであって、
パンツが見えたらパンチラなんでしょ?ホラ。
みたいなのは、パンチラではない。
それと同じことなのだ。
~なのが萌えなんでしょ?ホラ。
という「~」の部分は、単なる趣向に過ぎず、萌えとは一線を画するものである。

何故それが一般に通じないか。
これが、多く理系と文系の隔絶であるとも考えられるが、言葉の配置が問題なのだ。
(文系理系を区分するつもりも無いのだが、そういった表現が楽なので)

もう一度言うと、ツンデレはパンチラと同様の現象、及び瞬間であり、定型をなすものではない。

区分としては、パンチラやツンデレが同列であり、眼鏡っ子や幼なじみとツンデレは違う。
眼鏡っ子の幼なじみ、というのは表現として正しいが、
ツンデレの幼なじみ、というのは間違いである。
というのが、俺の主観に基づいた分類である。

しかし一般には、~はツンデレ、~は萌え。という表現がとられる。
これをパンチラに変えてみると、~はパンチラ。となる。
屁理屈かもしれないが、違和感を感じてもらえただろうか。
あくまで、ツンデレとパンチラを同列に扱えば、という話でだ。
貴方や、周囲の持つ主観の区分が、既にツンデレとパンチラの区分を分けているのであれば、
上記の表現にはあまり違和感を感じないかもしれない。
~はパンチラ、という表現が変なだけだ、と思うかもしれない。

しかし、ツンデレとパンチラを同列に扱う方が違和感を感じない、という方に関しては、
上記の表現が適切ではない、という風に感じてもらえたのではないかと思う。


今更、ことさらにこの話題を取り上げたのは、パンチラのスロー再生にも疑問なのかも。
自分でその瞬間を切り取るつもりなのに、作品の時点でそれを強調される。
ツンデレの公式化がこれと同義に見える。
デレの表現率を上げたり、分かり易いフォローがあったりなど。
メディアの上手いところは、ツンデレという記号を一般に理解しやすい形で広告し、
食傷気味になっていたオタクをよそ目にライト層、一般層を取り込んだところにある。

おそらく、パンチラも当初はツンデレのように勘違いされたのではないか。
日本人がパンツを履くようになったのは、歴史から見れば最近のことだ。
パンチラとはコレだ、と勘違いした一般層と、それを受け入れない層がいたのではないか。

感覚的には、パンチラに最も敏感なのは日本人であるように思う。
ツンデレとは、粗暴な中に見える優しさや、奥ゆかしさの中に気丈さを見つけたときの、
所謂チラリズムと同様の感覚であるように感じられる。

ツンデレは、既に一般に知れ渡った単語であり、数多くのバリエーションを持った。
表現内容が流動的であるのは、スラングだからではなく、
パンチラのようにパンツとそれを隠すもの、という絶対的な名称を、
ツンやデレが持たないからであると考えられる。

このように、ツンデレという言葉が広い意味を持つのは致し方ない。
しかし、ツンデレが形容詞として扱われるのは、本意ではない、と俺は考える。



以上、俺を一人にすると駆け出す妄想でした。

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