何か決めなきゃ駄目ですか。



俺が決めたら、貴方はどうするんだい。

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今日とて。

ネットワークというものが、オープンであればあるほど、ネットワークそのものの価値は上がる。
逆に言えば、情報に対する価値がネットワーク上にあるものと、そうでないもので格差が激しくなるのだが、まぁ、そんな話はさておいて。

ネットワークが整備され、全ての、少なくとも日本と言う国内においては、ネットワークに接すると言うことは、然程難しいことではなくなった。
ネットワーク上の情報を見ることが出来ると言う事態は、人にとっては劇的な変化である。
不確定とは言えど、ネットワークを介することによって、人は無数の目と耳を持つことが可能となったからだ。

それゆえに、国と言う単位は、限りなく経済的意味しか持ちえなくなってしまった。
この場合、経済的意味の中には、軍事的要素・政治的要素が含まれている。

従来、即ちネットワークなどと言うものが、変態の領域だった頃(言い方悪いな・・・)、我々の得うる情報は、自分自身で体感したことに加えて、本で読んだもの、テレビで見たもの程度であった。
簡単に言えば、実体感に伴う情報以外は、商品として与えられるものであり、実態の裏側を見るには及ばなかったのだ。
故に、仮に嘘であったとしても、多くの場合、我々はそれを信じるか信じないかの2択しかなく、否定した上で真実を示すには至らなかった。

だが、現代ではそれは筒抜けになっている部分がある。
当然、メディアの能力不足(つまり薄っぺらい)ということはある。
しかし、本質的にメディアの情報との剥離の原因となるのは、やはりインターネットであっただろう。
知ろうとしても知ることの出来なかった情報が、ただ垂れ流しにされている。
我々は、それを拾うだけでよかった。
メディアの裏側を、販売の裏側を、我々は知る術を得た。

その結果、我々は従来の意識のまま大人になろうとしている。
今までは、大人にならなくてはならかった。
社会に溶け込むと言う事は、大人になることを自覚せざるを得なかった。
何故なら、社会に組み込まれることでしか知りえない情報が、無数にあったからだ。
しかし、インターネットはそれを打ち砕いた。

今にして思えば、大人とは子供とは違う世界に住むという認識が、幻想であったことが分かるのだが、それは幻想として、壁として確かに存在しているべき境界線だったと思わないだろうか。
我々は、知識を通して大人になったと言う認識を得るべきであった。
・・・、そうでもないか。得ていた。位にしておこう。

結果的に、大人の、子供に対する教訓とも言える嘘は、真実が見えるようになり、考える力の無い子供は、答えを探して終わろうとする。
刹那的とは、突き詰めればここに原因があるのではないだろうか。
今がよければ良い。というわけではなく、今が、自分の人生における最高点である、ということを実感しながら成長しているからである。

子供の時は、自分がいくら何もかもを知った気でいたとしても、大人になれば、半分くらいは認識の違いを知る。
しかし、現代では、生半可に生の声をネットワークで拾えたりするものだから、現実との剥離が小さい。
つまり、子供であるという幻想を持ち得ないまま、子供とも大人ともつかない状態を一生持ち続けるのである。

それは、今の状態で言えば、「問題」なのだろう。きっと。

愛国主義とか、そういうものは、結局のところ自分の知り合い位は守りたいという意識の連鎖なのだから、知り合いが世界に偏在すると言うことは、決して自国だけを守るなんて必要は無いはずなんである。
と、こう考えてもおかしくないわけだ。
だから、最初に述べたように、国と言う単位が揺らぐ。
それは法治国家であるにも関わらず、法の及ぶ範囲が限りなく曖昧になるからだ。

法律の整備。
もし、これを提唱するならば、それは国内向けのアピールであってはならない。(というわけでもないが)
少なくとも、国内法の整備と言うのは、物理的意味合いを強く押し出さなければならない。
著作権であるとか、電子的な整備は、国内で勝手にやれば収まるものでもないからだ。



結局何かって言うと、本当に必要なものは何処にあるのか、それを考えてみないか。ってことさ。
ことあるごとに、それを考えてみれば、少しだけ視野が広がるはずサ。


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以下SF
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人間が、インターネットを通して、物理的な体験を電子的情報として世界に発信する。
それは、世界に無数に存在するセンサーと言ってもいいだろう。
脳が細胞の集合体でありながら、一つの意志を持つように、地球と言う生命体の脳細胞の一つとして、我々は存在するようになる。
我々の存在意義とは、これである。
地球の脳細胞の一つとして我々は存在する。
では、地球の意志は、どこにあるのだろうか。
少なくとも脳細胞化した我々の持ちえるアーカイブの中に無いことは確かである。
そう、物事の性質とは個体と複数と群集によって変化する、形態変化性を持っている。
そして、我々が生み出すのは、知的惑星。

太陽系で、たった一つ。
孤独な惑星生命体を生み出すことになるのだ・・・。


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ギャグかよ。

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